2009年06月28日
失いたくないもの
車から降りてドアを閉めた拍子にピアスを片方落とした
大きなフープは微かな音を立てて弾み車体の下に転がって入っていった
駐車場にかがんで車の下を覗くとピアスは車体の下ほぼ真ん中で光っていた
思い切り腕を伸ばしても届く距離ではない
わたしはアスファルトに腹ばいになり頭を車の下に突っ込んでピアスに手を伸ばした
そしてその瞬間 車の下で絶命するという感覚を味わった
自分の愛車の見慣れぬ暗く煤けた機械としての部分を見上げて
こんな重たそうな鉄の塊とアスファルトにすり潰されるのかと思うと
アドレナリンが体中をかけめぐり脳が窒息しそうだ
気をつけていたとしても 事故に巻き込まれれば
ある程度の確率であきらめなきゃならない時がある
アスファルトの上で自分の命が消えていく
不意に訪れた死をその瞬間に受け入れられるのか
カエルのようにつぶれて
遺言もなしで逝きたかないよなー
しかし
自分の死そのものより怖いものがある
わたしの死を受け入れなければならない遺された息子の絶望だ
なぐさめようにも
「ママはもう痛くないからだいじょうぶだよ」 なんて死んじゃったら言えないもんなー
キツイ話だけど普段から死について話し合っておくのもいいのかな
でも逆に息子や愛する人が死んじゃったら
・ ・ ・ ・ ・ ・
あーーーだめだめだめ! やだやだやだーーー!
そんなの絶対だめだから!
もうやめた! 思考停止
でもこの世にはそんな想像を絶する苦しみを抱えて生きている人がたくさんいるんだなぁ
・ ・ ・ ふぅー
アスファルトに張り付いた重たい体を起こしてピアスをつけなおした
サイドミラーに映る40半ばの女の顔
いまだに命がけなんて言葉を好んで使っているわりには
絶対に失いたくないものがちゃんとある
大きなフープは微かな音を立てて弾み車体の下に転がって入っていった
駐車場にかがんで車の下を覗くとピアスは車体の下ほぼ真ん中で光っていた
思い切り腕を伸ばしても届く距離ではない
わたしはアスファルトに腹ばいになり頭を車の下に突っ込んでピアスに手を伸ばした
そしてその瞬間 車の下で絶命するという感覚を味わった
自分の愛車の見慣れぬ暗く煤けた機械としての部分を見上げて
こんな重たそうな鉄の塊とアスファルトにすり潰されるのかと思うと
アドレナリンが体中をかけめぐり脳が窒息しそうだ
気をつけていたとしても 事故に巻き込まれれば
ある程度の確率であきらめなきゃならない時がある
アスファルトの上で自分の命が消えていく
不意に訪れた死をその瞬間に受け入れられるのか
カエルのようにつぶれて
遺言もなしで逝きたかないよなー
しかし
自分の死そのものより怖いものがある
わたしの死を受け入れなければならない遺された息子の絶望だ
なぐさめようにも
「ママはもう痛くないからだいじょうぶだよ」 なんて死んじゃったら言えないもんなー
キツイ話だけど普段から死について話し合っておくのもいいのかな
でも逆に息子や愛する人が死んじゃったら
・ ・ ・ ・ ・ ・
あーーーだめだめだめ! やだやだやだーーー!
そんなの絶対だめだから!
もうやめた! 思考停止
でもこの世にはそんな想像を絶する苦しみを抱えて生きている人がたくさんいるんだなぁ
・ ・ ・ ふぅー
アスファルトに張り付いた重たい体を起こしてピアスをつけなおした
サイドミラーに映る40半ばの女の顔
いまだに命がけなんて言葉を好んで使っているわりには
絶対に失いたくないものがちゃんとある
Posted by kumi d'oro at 15:05│Comments(2)
│雑記
この記事へのコメント
高校2年生の時、大切な友を交通事故で失った。
一緒に帰ろうと言ってきた彼を「バンドの練習があるから」と、一人で帰してしまった。
そして、彼は二度と帰らぬ人となってしまった。
彼のお葬式は、中学時代の仲間が久しぶりに顔を合わせる悲痛な同窓会となった。
中学3年の時、彼とも僕とも同じクラスだった女子が、僕の顔を見るなり「久しぶりね」と泣きながら微笑んだ。
僕にとって失いたくないもの、それは「友」。
家族の絆を失い、勤務した経歴も失い、ほとんど全てを失ってしまった現在、僕に残された数少ない「失われずにすんだもの」、それは「友」。
仕事もまだ決まらず、安ホテルを転々として住む所もない、こんな状況で同窓会の幹事などやってる場合ではない。普通は。
しかし、僕にとって、笑顔で再会できる同窓会の幹事をやれることは至上の喜びなのである。
失って初めて気付く、その大切さ。
ダルマ・ザビはその大切さを失う前に気付いたのである。
坊やにしてはよくやったほうだね。
一緒に帰ろうと言ってきた彼を「バンドの練習があるから」と、一人で帰してしまった。
そして、彼は二度と帰らぬ人となってしまった。
彼のお葬式は、中学時代の仲間が久しぶりに顔を合わせる悲痛な同窓会となった。
中学3年の時、彼とも僕とも同じクラスだった女子が、僕の顔を見るなり「久しぶりね」と泣きながら微笑んだ。
僕にとって失いたくないもの、それは「友」。
家族の絆を失い、勤務した経歴も失い、ほとんど全てを失ってしまった現在、僕に残された数少ない「失われずにすんだもの」、それは「友」。
仕事もまだ決まらず、安ホテルを転々として住む所もない、こんな状況で同窓会の幹事などやってる場合ではない。普通は。
しかし、僕にとって、笑顔で再会できる同窓会の幹事をやれることは至上の喜びなのである。
失って初めて気付く、その大切さ。
ダルマ・ザビはその大切さを失う前に気付いたのである。
坊やにしてはよくやったほうだね。
Posted by ダルマ・ザビ at 2009年06月30日 21:51
大切に思うものがあるってしあわせなことだよね
でもね
たとえ周りのもの最後まで全て失ったとしても
それは大変な絶望であるけれども
自分の価値がなくなった訳じゃないんだよ
自分の価値は相対的ではなく絶対的なものなんだから
これからまた新たに大切なものを増やしていけばいいんだよ
同窓会よりステキなことだってきっとあるさ
でもまあ幹事さん気合入れて取り組んで下さってありがとうございます
わたしもなつかしい友達に会えるの楽しみにしてます
たくさん集まってくれるといいね
でもね
たとえ周りのもの最後まで全て失ったとしても
それは大変な絶望であるけれども
自分の価値がなくなった訳じゃないんだよ
自分の価値は相対的ではなく絶対的なものなんだから
これからまた新たに大切なものを増やしていけばいいんだよ
同窓会よりステキなことだってきっとあるさ
でもまあ幹事さん気合入れて取り組んで下さってありがとうございます
わたしもなつかしい友達に会えるの楽しみにしてます
たくさん集まってくれるといいね
Posted by kumi d'oro
at 2009年07月01日 12:50
